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Ganthārambhakathā著作開題

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa

世尊・応供・正等覚者に礼拝いたします。

Majjhimanikāye

中部経典

Mūlapaṇṇāsa-aṭṭhakathā

根本五十経篇註釈

(Paṭhamo bhāgo)

(第一部)

Karuṇāsītalahadayaṃ, paññāpajjotavihatamohatamaṃ;

慈悲によって冷涼たる御心をもち、智慧の燈火によって迷妄の闇を滅ぼし、

Sanarāmaralokagaruṃ, vande sugataṃ gativimuttaṃ.

人々と神々の世界の師であり、輪廻の境界を解脱された善逝に敬礼いたします。

Buddhopi buddhabhāvaṃ, bhāvetvā ceva sacchikatvā ca;

仏陀もまた仏陀たる境地を修習し現証して、

Yaṃ upagato gatamalaṃ, vande tamanuttaraṃ dhammaṃ.

到達された、汚れなき無上の法に敬礼いたします。

Sugatassa orasānaṃ, puttānaṃ mārasenamathanānaṃ;

善逝の真実の御子であり、魔の軍勢を打ち砕く者たちである、

Aṭṭhannampi samūhaṃ, sirasā vande ariyasaṅghaṃ.

八種の聖衆の集いである聖僧伽に頭頸を傾けて敬礼いたします。

Iti me pasannamatino, ratanattayavandanāmayaṃ puññaṃ;

このように、清らかな心をもつ私によって作られた三宝礼拝の功徳と、

Yaṃ suvihatantarāyo, hutvā tassānubhāvena.

その威力によって、諸々の障害がすっかり打ち払われたものとなり、

Majjhimapamāṇasuttaṅkitassa idha majjhimāgamavarassa;

中くらいの長さの経によって示された、この優れた中部阿含(中部経典)の、

Buddhānubuddhasaṃvaṇṇitassa paravādamathanassa.

仏陀と仏弟子どもによって賛嘆され、異論派の説を打ち砕くものの、

Atthappakāsanatthaṃ, aṭṭhakathā ādito vasisatehi;

意味を解明するために、初めに五百人の

Pañcahi yā saṅgītā, anusaṅgītā ca pacchāpi.

自在者(阿羅漢)たちによって結集され、後にもまた再結集され、

Sīhaḷadīpaṃ pana ābhatātha vasinā mahāmahindena;

さらに自在なる大マヒンダ長老によってシンハラ島(スリランカ)へともたらされ、

Ṭhapitā sīhaḷabhāsāya, dīpavāsīnamatthāya.

島に住む者たちのためにシンハラ語によって定められた義釈(註釈)を、

Apanetvāna tatohaṃ, sīhaḷabhāsaṃ manoramaṃ bhāsaṃ;

私はそこからシンハラ語を取り除き、心喜ばせる言語へと、

Tantinayānucchavikaṃ, āropento vigatadosaṃ.

聖典の法規にかなう、過ちのない言葉に移し替え、

Samayaṃ avilomento, therānaṃ theravaṃsadīpānaṃ;

上座の血統を照らす長老たちであり、

Sunipuṇavinicchayānaṃ, mahāvihāre nivāsīnaṃ.

極めて巧みな判決を下す、大寺(マハーヴィハーラ)に住まう者たちの所説を損なうことなく、

Hitvā punappunāgatamatthaṃ, atthaṃ pakāsayissāmi;

重ねて繰り返し現れる意味は省きつつ、その意味を解き明かしましょう。

Sujanassa ca tuṭṭhatthaṃ, ciraṭṭhitatthañca dhammassa.

善き人々の喜びのため、そして正法が長く存続するために。

Sīlakathā dhutadhammā, kammaṭṭhānāni ceva sabbāni;

戒律の説示、頭陀行の諸法、そして一切の業処、

Cariyāvidhānasahito, jhānasamāpattivitthāro.

行道の規定を伴う、禅定と等至の詳細、

Sabbā ca abhiññāyo, paññāsaṅkalananicchayo ceva;

一切の神通、智慧の総括的決定、

Khandhādhātāyatanindriyāni ariyāni ceva cattāri.

蘊・界・処・根、そして四つの聖なる

Saccāni paccayākāradesanā suparisuddhanipuṇanayā;

真理(四諦)、極めて清浄で緻密な方途をもつ縁起の説示、

Avimuttatantimaggā, vipassanābhāvanā ceva.

聖典の正道を離れぬヴィパッサナー修習(観瞑想)、

Iti pana sabbaṃ yasmā, visuddhimagge mayā suparisuddhaṃ;

これら一切のことは、すでに私によって『清浄道論』において極めて清浄に

Vuttaṃ tasmā bhiyyo, na taṃ idha vicārayissāmi.

説かれたがゆえに、ここでは重ねて論究することはいたしません。

‘‘Majjhe visuddhimaggo, esa catunnampi āgamānañhi;

「『清浄道論』は、実にこれら四阿含の中間に

Ṭhatvā pakāsayissati, tattha yathābhāsitamatthaṃ’’.

位置して、そこで説かれた通りの意味を解明するであろう」

Icceva kato tasmā, tampi gahetvāna saddhimetāya;

このように作られたのであるから、それをもこの義釈(註釈)とともに

Aṭṭhakathāya vijānatha, majjhimasaṅgītiyā atthanti.

受け取って、中部結集の意味を理解なさい。

Nidānakathā

因縁論

1. Tattha majjhimasaṅgīti nāma paṇṇāsato mūlapaṇṇāsā majjhimapaṇṇāsā uparipaṇṇāsāti paṇṇāsattayasaṅgahā. Vaggato ekekāya paṇṇāsāya pañca pañca vagge katvā pannarasavaggasamāyogā. Suttato diyaḍḍhasuttasataṃ dve ca suttantā. Padato tevīsuttarapañcasatādhikāni asītipadasahassāni. Tenāhu porāṇā –

1. そこで、中部結集とは、五十経篇の区分からいえば根本五十経篇・中分五十経篇・後分五十経篇という三つの五十経篇の集成である。品(篇)の区分からいえば、各々の五十経篇に五つずつの品を立てて、合計十五品から成る。経の区分からいえば、百五十と二つの経である。句(パダ)の区分からいえば、八万句に加えて五百二十三句である。それゆえに古人たちは言った――

‘‘Asītipadasahassāni, bhiyyo pañcasatāni ca;

「八万句と、さらに五百句、

Puna tevīsati vuttā, padamevaṃ vavatthita’’nti.

そしてまた二十三句が説かれた。句はこのように規定される」と。

Akkharato satta akkharasatasahassāni cattālīsañca sahassāni tepaññāsañca akkharāni. Bhāṇavārato asīti bhāṇavārā tevīsapadādhiko ca upaḍḍhabhāṇavāro. Anusandhito pucchānusandhi-ajjhāsayānusandhi-yathānusandhivasena saṅkhepato tividho anusandhi. Vitthārato panettha tīṇi anusandhisahassāni nava ca satāni honti. Tenāhu porāṇā –

文字(音節)の区分からいえば、七十四万五十三文字である。誦誦分(バーナヴァーラ)の区分からいえば、八十誦誦分と二十三句余りの半誦誦分である。連関(アヌサンディ)の区分からいえば、質問の連関・意図の連関・叙述の連関の三種に要約される。詳細に分ければ、三千九百の連関がある。それゆえに古人たちは言った――

‘‘Tīṇi sandhisahassāni, tathā navasatāni ca;

「三千の連関と、同じく九百の連関、

Anusandhinayā ete, majjhimassa pakāsitā’’ti.

これら連関の筋道が中部のために明らかにされた」と。

Tattha paṇṇāsāsu mūlapaṇṇāsā ādi, vaggesu mūlapariyāyavaggo, suttesu mūlapariyāyasuttaṃ. Tassāpi ‘‘evaṃ me suta’’ntiādikaṃ āyasmatā ānandena paṭhamamahāsaṅgītikāle vuttaṃ nidānamādi. Sā panesā paṭhamamahāsaṅgīti sumaṅgalavilāsiniyā dīghanikāyaṭṭhakathāya ādimhi vitthāritā. Tasmā sā tattha vitthāritanayeneva veditabbā.

そのうち、五十経篇の中では根本五十経篇が最初であり、品の中では根本法門品が最初であり、経の中では『根本法門経』が最初である。それにおいても、「このように私は聞いた」などに始まる、第一大結集の時に尊者アーナンダによって語られた因縁が最初である。なお、その第一大結集については、『長部註(吉祥悦意)』の冒頭において詳説されている。したがって、それはそこで詳説された通りの方法によって理解されるべきである。